ココロの止まり木(最終回)
「星が見ている」
                     河合 隼雄

 文化庁の主催する国際文化フォーラム 「文化芸術と科学技術」が、京都の国際会館で開かれ、参加した。
日本では文化系と理科系とが早くから分けられて、お互いに他のことを知らなすぎるという欠点があるが、文化芸術と科学技術との問にいろいろと交流や相互作用があるべきではないかという趣旨のフォーラムで、国際的、学際的な発表者を迎え、実に興味深い会となった。
 そのなかで印象的だったことを紹介しよう。ハワイに大天文台をつくられたので有名な、天文学者の小平桂一さんが基調講演をされた。聴衆からの質問の一つに、「現代は科学技術が発展し、それにつれて宗教の力が弱くなっている」、このことについてどう考えるか、という問いかけがあった。
 小平さんはこれに対して、宗教という場合、いうなれば二つのことがあり、まず一つは、何か特定の宗教を指す。つまり、自分は××教の信者である、というような場合。第二の場合は、特定の宗教、宗派に属するのではなく、自分を超えた自分の知識ではとらえ切れない偉大な存在があると信じることである。そして、2番目の意味の宗教は大切であり、このことなしに最先端の科学の研究をするのは難しいのではないか、と言われた。
 そして、野原に寝転がって、夜空の星を見ていると、はじめのうちは、自分が星を見ていると思っているが、そのうちに、星のほうが自分を見ている、自分は見られているのだ、と感じることがあるはずである。その経験が大切ではないか、と。

 小平さんの発表では、ハワイの大望遠鏡で見た、100億光年も離れたところの星雲・の写真などを見せていただき、現代の科学の力の偉大さに感心していたのだが、この科学者にしてこの言ありと思って、深い感銘を受けたのであった。
 話変わって、詩人のまどみちおさんは、私がかねがね尊敬している方だが、まどさんは絵も描かれ、最近は『まど・みちお画集 とおいところ』(新潮社)を出版された。12月5日には、このまどさんの絵について谷川俊太郎さんと対談をするので、この画集を見ていた。そこには詩も載っているのだが、次の詩があり、驚いてしまった。

 いちばんぼし

 いちばんぼしが でた
 うちゅうの
 目のようだ

 ああ
 うちゅうが
 ぼくを みている

 天文学者と詩人と、どちらも同じものを見、同じように感じている。これは何と素晴らしいことだろう。科学と芸術は思いの外に接近しており、そこには深い宗教性が感じられるのだ。
 いちばんぼしについて、2歳の坊やの原ひろしくんのつくった私の大好きな詩を最後に紹介しておこう。

 お星さんが
 一つでた
 とうちゃんが
 かえってくるで
(灰谷健次郎編『お星さんが一つでた とうちゃんがかえってくるで』理論社)
 この坊やは星の向こうにお父さんの姿を見ている。これもまた素晴らしい。

週刊l新lヨ 2003.12.26

かわい・はやお1928年生まれ。心理学者。62年から3年間、スイスのユング研究所に留学。
日本におけるユング派の心理療法を確立した。
国際日本文化研究センター所長を経て、2002年1月、文化庁長官に就任した。