2002.05.13 朝刊 1頁 1面 (全636字)  --------------------------------------------------------------------------------  昭和五年のきょう、自然主義作家の田山花袋は喉頭(こうとう)がんのため、 五十八歳で死んだが、彼の臨終については、 その前日の島崎藤村とのやりとりが知られている ▼一歳年下の文学仲間藤村は朝に見舞った枕元で聞いた。 「君、この世を辞してゆくとなると、どんな気持ちがするものかね」。 花袋はまじめに答える。「何しろ、だれも知らない暗いところへ行くんだから、 なかなか単純なものじゃない」「苦しいかね」「苦しい」 ▼臨終問答はいかにも冷酷に聞こえるが、藤村自身が後日、書いたところでは、 彼から問うたというより、花袋が話しだしたという。 目に一杯の涙をためながら語り続け、そんなに話すと疲れるぞ、 と言わせたほどだったそうだ。午後に昏睡(こんすい)に陥り、そのまま没した  ▼医学は、ここ三十年で著しい進歩を遂げた。新鋭のメスや機械や薬品が、 平均寿命を格段に延ばした。 その代わり、死はしばしば機械に囲まれたまま訪れるようにもなった。 多数のチューブを体に挿入されたまま生きている状態を、 いやな言い方だがスパゲティ症候群などと呼ぶまでに至っている ▼以前、新鋭設備の病院を開業前に見せてもらったことがある。 集中治療室に並ぶ人工心肺などの機械類は頼もしいとも、 冷えびえとも見えた。生きるのか、それとも生かされるのか、 と思わざるを得なかった ▼死は個別のことだから、一律な議論はなかなか難しい。 しかし、もし「苦しい」と答え得た花袋の方がうらやましく思えるのなら、 今の人知は医療に追いついてはいないということだろう。