ヨーロッパ放浪記

-----------------------------(酔うロッパ放労記)


8.《アムステルダム》
  〜飾り窓とゴッホとHeineken


6月29日(7日目)
アントワープからアムステルダムは意外と早かった
途中、電車の中でデジカメの雑誌を熱心に読む青年に
おんぼろ35万画素のデジカメDS-20を見せてあげたら喜んだ
逆に写真をとってもらった(髭伸びてきたんだなあ)
 
夕方にはアムステルダム駅に着いた
サマータイムのせいか未だ十分明るい
一度やってみようと思っていたコインの両替ができた
ベルギーコインがオランダギルダー(セント)に換わった(ラッキー)
駅をおりると
アムステルダムは13世紀にアウムステル川をダムでせき止めて
町を築いたところに由来するそうだが
まさにそのイメージ通り駅のすぐ前が河口だ
その間がもう繁華街だ
この日、アムステルダムでサッカーヨーロッパ2000の対フランス戦があるらしく
空には飛行船が飛んでるし
町中オレンジ色(オランダのイメージ色?)の人たちであふれかえっていた
やや、これは泊まるところがないのでは?
と思いきや、ユースは満杯であったが(ユース自体危ない地帯にある)
見事飾り窓のあるいわゆる危ない地帯の中で安いドミトリー形式の
ブラジル系のホテルをゲットした
また猫に出会う

元気なスペイン人の女性二人組も同じ部屋
(スペイン人はどうしてあんなに明るいのだろう)

今夜はもしかしてサッカーでオランダが勝ったら
きっと飲み屋は飲み放題、飾り窓もダンピングが
あるにちがいないと思い、町中へビールを飲みに・・・

どの店も飲み食いよりサッカーきりでテレビに夢中で
テレビのない店は店主も客もいやしない
生は、これを飲まなきゃ白い目で見られると思い
本場Heinekenだ
ここの特徴はわざとこぼすように注ぎ、
ペーパーナイフみたいので表面の泡をスーと取ることだ

結果、サッカーは負けたが街はひとひとひとだ
ええい、紛れ込んで向学のため飾り窓をウィンドウショッピングだ
するとエンジ色というかいかめしい濃いピンク色のカーテンが
暗くなるにしたがい、1階だけでなく2階まで開帳され
おいでおいでをしている  おお
この夜、わたしがどういう行動をとったか・・・・
さすがホームページに掲載するのはためらいがあり
家庭不和(もう家庭不和か)を恐れ割愛させていただきます
詳細をお知りになりたい方はメールをくだされば
別冊酔うロッパを無料で送らさせていただきます

それでも驚いたのは
当地は飾り窓だけでなくストリップ劇場もあったのだが
そこに明らかにどこかの国(オランダかなあ)の
修学旅行かフィールドワークで明らかに学生(高校生)
しかも男女一緒に楽しんでいたのだ
先生が「おい、もう帰るぞ」とか言って生徒が「先生まだいいでしょう」
と言って舞台にショーガールと一緒にたっているのでありました
こういうのを開かれた教育というのかなあ
−ということは、わたしもそこにいたのでありました
50G(¥2,349)でした

その後はしーらない
夕飯を削ってまでHeinekenをしこたま飲んだのは確か
お腹をぐうぐう鳴らせながらにやにやしてその日は寝た

翌朝6月30日(金)(8日目)
人間はどうしようもない欲というものがあるらしく
わたしのビール欲もそのひとつ
足は地球の歩き方でみつけたHeinekenのビール会場へ
移動は遊覧船やレンタサイクルがおしゃれなのだろうが
私は二本足
途中、私はアルルのはね橋と勘違いしてマヘレのはね橋を
当時のゴッホの気分になってこのアングルかなあと
高校時代の美術部部長時代を思い出してうなっていた(頭の中はHeineken)

自分の小さい頃大感銘を受けた、かのゴッホ美術館へ(15.5G)
ゴッホ美術館は、弟テオの遺族が収集した絵画がいっぱい
オランダ時代とフランス時代の彼がしのばれる
ここで一言
テオとゴッホの兄弟が手紙のやりとりをして
テオがゴッホの一生の心の支えになるのだけれど
人は誰もが最後の理解者が必要なんだと思います
ちょうど、この文を仕上げているとき大阪池田市の小学校事件が起きる
彼のことを理解すること自体無理なのかもしれないけど
だれも回りに理解者がいなかったのかなあ
ゴッホはキチガイと呼ばれることがある
ゴッホがゴーギャンと争いの上、斬りつけ、失敗の上自分の耳を切る
私の勝手な意見でありますが池田市の彼は自分の耳を切ることができたんだろうか
狂う人の気持ちがわかる人間にまでなりたい気がする
でも狂っても自分の耳を切れる人間でありたい
人の心や身体を傷つけことがどういうことなのか、まだわかっていない
わかってあげられる人間でいたい
ゴッホみたいな人も必要
テオみたいな人間も必要
これが私の生と狂気(ワープロで凶器、驚喜とも変換する)
への所感であります
さてゴッホ美術館では、あと日本の浮世絵もかなりの数収集されていた
日本人はこれをくそがみにしてたんだもんなあ
今回酔うロッパを通じて特に思ったのは
なにか本で読んだことはあったが
海外にでる日本人なら日本のことをほんとに勉強していくべきだ
もっと日本の文化をあつく語れるぐらいになりたい、と思った
拙い英語で、最後にきかれるのは必ず「では日本ではどうなのだ」
ということになる
いつのまにか変に西洋かぶれになってしまった自分がちょと寂しい
しかしビールは西洋人の発明だもんな
でも寿司やそばは日本人だもんな
シルクロードからつながったことを大いに感謝感謝

さていよいよHeinekenビール工場

工場見学ツアーは2G(100円弱)、ビールがどうやってできるかを見学
わたしはそんなことはどうでもよかった
ビールをどうやってたくさん飲むかが肝心なことなのだから
1時間ほどのがまんのあと4−50人のグループは
なにやらおおきなホールへ招かれる
ゴーストバスターにでてきた下唇の厚いおもしろい役者さん
(有名なのだけど名前を忘れた)そっくりのギャルソンが
それはおもしろおかしくビールを振る舞う
パブをつくるなら彼を雇うべきだ
その日が誕生日で何か証明するものがあると素焼きのビアジョッキがもらえる
どうせ1杯か2杯しか出ないだろうと思いきや
私が飲めると見るや飲めや飲めやでもってくる
なんなんだ、これはというくらいもってくる
しかも出来たての思いっきり冷えたやつだ
これでHeinekenを世界に知らしめてくれといわんばかりに
ロゴの入った紙のコースターは死ぬほどくれた
(まだあるので希望者にはあげる
あと前述した泡をすくい取るナイフが目に入る
なんとHeinekenのロゴ入りだ
日本の友達でパブを計画しているやつがいる
そのナイフどこかで売っていないかと尋ねると「ない」とのこと
たのむからそのナイフをくれと拝み倒すと
なんと例のHeinekenの見事な緑のおおきなナプキン
こっそりくるんでくれた
もうおれはHeinekenしか飲まないとそのときは心に決めた
しこたま酔ってくると離れた席にいたたしかアメリカ人だったかな
こっちにきていっしょにやろうと誘いに来た
おいおいここはパブかよ
ギャルソンに止められて名残は惜しくなく、お開きとなった
なんと見学料100円で私はハーフパイント(中ジョッキ)10杯はのんだぞ

こんないいところがあっていいのか
昼は昼で100円飲み放題ビール
夜は夜で素敵な町
ああアムステルダムは天国だ!
このままいけば私は残りの日々をここで過ごしてしまう
と、気づき絶対今夜になる前に他の国へ行こうとその時決心した
(チューリップや風車や大好きなチーズのことはすっかり忘れている)
ビール工場の後、
昼間っから酔った足は
よたよたと駅へ向かう
割と町中にあるアンネフランクの家をみつけ入ることにする
全文通してアンネの日記は読んだことはないが
背景はわかる
その閉ざされた中で暮らした当時の様子がそのまま残されている
この旅のドイツはベルリン郊外で収容所もみることになるが
なぜかわたしはこのユダヤ人迫害に思うところがあるみたいだ
世界中に訳されている同書はそのすべてが展示してあった
ここでうれしかったのは久々の日本語の活字をみたことだ
それまで、新聞や雑誌でさえ日本語を見ることはなかったからなあ
その隠れ家を見てちょと暗くなってしまったが・・・
アムステルダムの町は陽気に明るく賑やかだ
ああそうそう
オランダ語って言えば英語とドイツ語の間っぽいそうだ
ありがとうは「ダンキュー」食べるは「イーテン」
あと英語でLet's go Dutch(オランダへ行こう)
は割り勘という意味になる使い方があるそうだ
わたしは、オランダ人がそんなけちな人種にはとてもみえなかったけどなあ
はいねっけん、はいねっけん

逃げ出すようにアムステルダムをたつ
宿を探すのもめんどうというか夜遊びがこわかったので
できるだけ長く寝られる夜行に決める
そういう訳あってなんと遠く離れたウィーンに向かうこととあいなる


ああ夜行に乗るときのエピソードをひとつ
ヨーロッパの列車はよく切り離される
それを知らずに切り離される車両に乗ろうとして、車掌に思いっきり
Stupid!(ばーか)と怒鳴られた
おかげでウィーン行きへ無事乗れた
途中何回か起きたが朝方、うすら明かりに、目が覚めて
ブラインドを開けるとそれはそれは素晴らしい朝焼けを見ることができた
来たぞお芸術の国オーストリアへ
ちなみに下の写真はドイツとオーストリアの国境の辺でしたな
オランダの絵はがきをヤマコと家に出すことにする
よおく見た飾り窓と全然見なかった風車の絵はがきをそれぞれに



(以下次号へ続く)
次号、ウィーン〜懐かしさと芸術とスマートメディア
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