ヨーロッパ放浪記

-----------------------------(酔うロッパ放労記)


9.《ウィーン》
  〜懐かしさと芸術とスマートメディア

7月1日(土)(9日目)

なんで、アムステルダムから隣のドイツに寄らずウィーンだったか?
それは天国アムステルダムにリターンしないため
それと夜行列車で長く眠ることができるように
という単純発想が理由です
ウィーンにつくと、絵はがきを投函、VISAでCD機から1000S(¥7,467)引出す
一番は宿探し
旅慣れてくるとまずは朝からその日の宿を探す
お目当てのYHが一発でOK 洗濯物も溜まっているので2泊することにする
次の日、宿を探さなくていいというのはうれしい
市内の交通手段はU-Bahn(地下鉄)、トラム(路面電車)
バス、Schnellbahn(近郊電車)とあるが、印象的だったのが
自分で乗車券にパンチを入れること
何かあってはいけないと思いインフォメーションで1日券を買い、
駅から最初に乗ったU-Bahnで検札に出くわす
よっぽど運がよかったのか悪かったのか
検札は最初で最後までその1回だけだった
はっきり言って無賃乗車やり放題なのである
でも見つかったらどうなるんだろう??? 
因みに私は最初のその1回しか買わなかった こういうことする悪いヤツが
いるから税金高くなるんだろうな
でも、運転手さんたちは一生懸命働いている、この場をかりてごめんなさい
U-Bahnの吊り輪が派手すぎるくらいの赤色

宿に早めにチェックインできたので洗濯をして日本からもってきた
洗濯ロープに思いっきり干して2段ベッドの上がわたしの寝場所

さて、YHのすぐ近くのパブでビール一杯(40S)引っかけて市内観光
リング(U2だったかな)に乗って市内をぐるぐる回っていると
ウィーン在住の日本人に会う。このリングは山手線みたいなものよ
乗っていればまた元に戻れるのよ
と教わり、ほんとにほんとに久しぶりに日本語をしゃべった
(夜中、こっそりひとりごとで日本語をつぶやいていたけどね)
あと、ほんとに困っていた「水」について教わった
ミネラルだと信じて買ったものがことごとく炭酸だった
(スプライトの方がよっぽどマシ)をぼやくと
「そう、こちらに住んでいて一番困るのが水なのよとのこと
OHVEと表記されているのが炭酸なしの水と教わる
あとで、知るのだがなぜこうも水がダメなのかというとドナウ川が
かなり汚染されていることとのこと また浄化技術も設備もないそうだ
だから炭酸にでもしないと殺菌できないとのこと なあるほど
でも、日本へ帰ってきて甘みのない炭酸を飲むと何か懐かしい気がするのです

さて町中ではウィーン美術史博物館(45S)を見て
郊外にある中央墓地でベートーベンと彼を慕ったシューベルトの墓が
並んでいた

ああ中学の音楽の先生の言ってたことは本当だったんだと改めて感心した
墓見て涙してちゃあダーメダーメ
夕方町中に戻って闊歩しているとあちらこちらでストリートミュージシャン
たとえ、音楽家の卵たちだとしてももう素晴らしいの一言
すてきな彼女は魔笛を弾いていた
(思わず電車賃も払わないのに小銭をギターケースに入れた

只でこんな音楽を間近に聞くことができるなんてうれいし限り
良い(酔い)音楽を聴くと腹が減る
どうせ幸せになるならと、日本食の店を探す
寿司やが天ぷらやや他の日本食も兼ねている
そこでわたしはギョーザとビール(もちろん日本の)とネギトロ巻きを食べた

ここの従業員はハーフなのに日本語は通じない
しかも隣はピザ屋を兼業している
常連の日本びいきのおばさんと写真を撮る
今回、耳学問で持っていってよろこばれる日本の製品で
切手と花札(あと風呂敷と100円ライターも人気有るそうだ)をもってきたので
彼女らにあげる
切手はお年玉年賀の当選切手をもっていったので
干支の話に花が咲く(西暦何年生まれはそれドラゴンだとかイノシシだとか
該当する動物を絵で描いたり、片言英語で説明したり、おもしろかった)
あと食い足りなかったんで町のなんとかというチェーン店で
キャビアが思いっきりのったパン(バケットのサンドイッチ)を食べた

キャビアの大盛りというのを一度食べてみたかったので満足・・・

帰り道にまた路上パフォーマンスを見て世は満足
そのまま市庁舎前の無料フィルムコンサート(なんと初日!)へ
これもまた只である わたしは信じられない(でも一番はアムステルダムだよ)

無料コンサートはWien2000と名打ってそれは盛大だった

市庁舎前は日本のちょうどお祭りみたいに屋台がならび
各国自慢の料理が屋台料理で並んでいる
日本は焼き鳥というか手羽先というかタレ焼きのそれとライスだ
一番並んでいたのが中国の焼きそば(もっともそれは日本のやきそば)に
近かったが・・・
おおどれもよいではないか
迷ったあげくビールだけを何杯もおかわりしていた
ウィーンに来た以上オーストリアの名物料理をと思ったが
結構ならんでいるので写真だけ撮った(写真15)
肝心のコンサート
初日とあってか曲目は私にも聞いてすぐわかる
ベートーベン第九だった
小学校時代ピアノの発表会で弾いた「喜びの歌」である
音響設備もばっちり
これがフィルムコンサートとかと思わせるほどの
音楽も観客もすばらしい迫力だった

芸術についてひとこと

お袋が芸術かぶれで、小さい頃、一応ピアノや絵画のお稽古あるいは
クラッシックとかよく英才教育的にそう好きでもないのに事あるたびに
ふれさせられた
芸術感というかそういうセンスは先天的なものなんだろうか
それとも後天的?
おらあ才能もセンスもないが
とにかく涙もろい
感極まる曲をきけばお腹にずっしり心臓がばくばく
優しい曲をきけば涙腺がゆるみっぱなしってのはあるけど
クラッシックは聴けば眠くなるもんだと信じて疑わなかったあ
絵や彫刻や音楽も演劇も嫌いじゃないけど
だべりながらビール飲む方が好きなんだけどなあ
いにしえの芸術家たちもビールを飲んだのだろうか
未だに芸術は自己満足なのか理解者への求心なのかって考えている
あなたは無人島でも絵を描きますか?
曲を奏でますか?
はたまた化粧をしますか?
っていうパラドックスの世界だ

ひょっとして無人島なら自分はビールも飲まないかもしれない
人間さえいれば・・・・・っていう淋しがり屋さん

おもしろい心理テスト
衣食住が必要最低限確保されている
無人島にあなたは3つだけ持っていけるものがあります
それは何ですか?ってやつです(回答は次号)

閑話休題

話がずれてしまったが
件のフィルムコンサート、デジカメで撮りまくるぞと思いきや
パニックがおきる
わたしの持っていったデジカメはかなり旧式の35万画素の
富士のDS−20
スマートメディア(フィルムですな)は2MBと8MBと16MBを持参
8MBあれば100枚はいけるのだが
そろそろ8MBが終わるのでいよいよ16MBと交換だと
思い交換してみると
なんと16MBは対応していないじゃないか
うんともすんとも言わない
ああああああああ
ウィーンにスマートメディアはあるのか、と一抹の不安とあきらめがよぎった
確かめて出発しなかったおれが悪いのは仕様がないが
この素晴らしい光景を撮れないなんて!・・・・
一生懸命、そのとき、それまでに撮った写真のうち
あきらめがつくのを消して、その消したスペースで新たに撮った
ああ何をさておき明日は市内でスマートメディア探しだ

ビールと音楽に酔って
ふらふらとYHに戻る
水道の水をがぶがぶと飲みたいが、ままならず
YHの自動販売機(缶のはないビン)でなにやらジンジャエールみたいのを飲む
寝付いて、翌朝起きると

7月2日(日)(10日目)
となりのベッドの上で日本手ぬぐいをした青年が
こちらを見てにやにや笑っている
相手が日本人と思うとき、なかなか日本語で話しかけられないのだが
おそるおそる「日本の方ですか・・・?」と尋ねる
そうですよと向こうも嬉しそうである
日本手ぬぐいしてれば日本人とわかるでしょとのこと
聞けば九大の学生だという 名前を下田君という
私の洗濯物を見て間違いなく日本人だと確信したらしい
お互いの身上を話し、おたがい久しぶりに話す日本語に酔っていた気がする
洗濯をするというので例のロープを貸すことにする

今日はドナウ川のライン下りを予定していたので昼間の行動はべつべつだが
下田君は昨日知り合った日本人の女の子と夕方会って食事をするから
一緒に行きましょうと誘ってくれる
ライン川下りのあと、ショッテンリングとやらで待ちあわせることにする

日曜とあってドナウ川下り(180S)は大勢の観光客で賑わう
船に乗る前にああこれはスゴイと思ったのは
ヴァッハウ渓谷のメルク修道院だ
とてつもなくでかい修道院だ
むかーし、幼いころの自分の夢にでてきた錯覚を覚えた

ドナウ川はちっとも青くなかったが
(はっきり言って黒きドナウだな、あれは)
それでも川辺で日光浴をする人たちがいた
生ビールは一杯39Sを2杯、高いのか安いのか
天気がぴーかんだったのでよしとしよう

思うに私の場合、ただのものほど感動するし
高いものほど(そう高くないと感じる人もいるんだろうな)今一だ
旅は価値観とアイデンティティの違いの連続だ

ちょっとスケジュールに無理があってか約束の時間に間に合いそうもない
携帯でもあればよいのだが2時間以上も待っていてくれるはずはない
それども偶然遭えるかもしれないと思い
待ち合わせの場所とYHを行き来し、挙句の果ては
食事をする予定だったハイリゲンシュタット(ベートーベンの家)まで
足を伸ばしてみたが行き違い間違いなし

ベートーベンは引越し魔だったというぐらいだから
あちらこちらに家があるが多くはレストランになっているとのこと
ここで飯食いたかったなあ
もうおなかギュルギュルで駅の売店でピザをかっくらった
ウィーンまで来てなんか日本でやっていることと同じじゃないか
(私は名古屋時間の遅刻常習犯)
何やってるんだろうと、道に迷ったことも伴ってとぼとぼと歩いていると
たけださああーんと暗闇の中から日本語が聞こえた
なんと下田くんではないか
場所はどこだったかなあ(街中だったな)
目をまるくして言葉をつまらせていると
こんな頭のでかいひげ面の日本人はいないということで
どうやら見つけてくれたらしい
しかしウィーンの駄々広い中でよくもまあ見つけたもんだ
人生とはそういうものかも知れない・・・

ウィーン大学の夏期大学に来ているという緒方さんという女性を
ここで初めて紹介される
夜も遅いので、明日又会うことにして宿舎まで送ってその日はお開き
ビール一緒に飲みたかったなあ(それしかないのか!)
街は例のサッカーヨーロッパ2000で盛り上がり
その喧騒の中、下田くんと街中のカフェでビールを飲む

寝付くとき考えた
日本人の若者も捨てたもんじゃない
ちょうど日本ではこの時期、名古屋の高校生の恐喝事件のことが
話題になったあとだったが、
こうして世界を見聞している若者に出会うと
いやあ大丈夫だぞ日本は、と思ってしまうおじさんになっていた
(いい年こいて自分もその気?20年若かったらなあ)

7月3日(月)(11日目)
下田君の乾していた洗濯物が盗られていた
なんか洗濯ロープ貸したのがまずかったかなあ
他人のパンツを普通盗るかいな
わたしはスマートメディア、彼はパンツがないと
この先生きていけそうもないので、一緒にデパートへ行くこととする
(別にスマートメディアもパンツも無くて死ぬってわけではないけどね)

デジカメは日本ほどでもないけれど、一応あちらこちらの店で見かけた
でもスマートメディアだけ売っているところは少ない
何軒かまわったところでやっと2MBのをゲット!
値段は日本の3倍近くした
(わたしはこの手のものにお金を払うことは全然躊躇しない)
下田君もあれやこれや悩んだあげく理想の黒いパンツを見つけたようだ
(彼は結構衣服にうるさい方?かな)
ウィーンの衣料品は円高もあってか安く感じた
でもどこの国も同じでたかーい百貨店もあれば
やすーい主婦の味方の店もある
けっこういろいろな店を回った
あと食料品はワインを筆頭にぜったいスーパーで買うと安い
信じられないことだが、スプライトとワインとチーズ、どれも
そう値段がちがわないのである(日本円で200円前後かな)

昼飯は新王宮の前で朝飯(YH)で包んだパンをほうばる
2時にダッハホテルの前で緒方さんと待ち合わせ
そこで、彼女と同じく夏期大学に来ている佐々木さんも一緒に
わたしとしてはダッハトルテを生まれて初めて食べる
とおなじみウィーンにきたらウィンナーコーヒー
もっともこちらの人たちはチョコとか濃いエスプレッソを甘くして飲むみたい

そもそも辛党の自分としてはトルテ自体の存在を知らず
これは自慢話になるぞと意気揚々として食べたが
にょーぼやむすめに自慢したところで、じぶんだけいいわね
とやられるに違いない うーんいつかもう一度来よう!こればっかりだね
そのあと佐々木さんが未だ行ってないという中央墓地へもう一度
街にもどり、わたしのこのうれしい気持ちを
日本料理で振舞おうとみんなで「てんまや」という日本料理レストランへ

西洋人の嫌いなタコと日本人の心、うどんをかっ食らう
ああそれから懐かしのキリンビールもね
バブルのころ会社で取得したJCBゴールドカードが活躍する

タイトルの懐かしさと芸術とスマートメディア
言わんとすつところは
自分にとって何が必要で大切なのかってことですね
なくても生きていけるかもしれない
でもそれがなければ人間らしく生きられない
じゃないですか

ビールしかり
それでもって酔うロッパはまだ続きます

もう、日本語がいつでも話せれるとなると
甘えちゃうね
ほんとは孤独で修行の旅なのに・・・・
下田君とこのあと、ドイツへ一緒にいくこととし
今夜の寝床はクシェット(寝台車)である
向かうはミュンヘン、アムステルダムまでは行かないよ



(以下次号へ続く)

次号、ミュンヘン

 

放浪記目次へ

トップページへ