ヨーロッパ放浪記   〜  酔うロッパ放労記  〜


14 《マルセーユ》 〜プロパガンスの光はいづこに

まず、最初にお詫びから・・・・
今は2004年8月、
あのヨーロッパへ独り旅に出かけたのは
なんともう4年前のことになってしまいました

せめてホームページ上では、ずーっとあちらに行っていたかった
なんて、言い訳もしてきましたが、
いつのまにかヨーロッパへ出かける前の怠惰な自分になってしまいました
日本はいかんなあ とまた他のことのせいにする悪い癖

全部、自分で決めて自分で行動すること
これが酔うロッパで身につけた決心だったのに・・・

何度も書きます、書きますとウソをついたことをお詫びします

ごめんなさい

いかん、いかん
中途半端で終わらせたくなかったし
結構この「酔うロッパ放労記」を楽しんでくれた方もいらっしゃたので
リクエストにもお応えもしたいので、
さあ一気に日本に帰るまでキーをたたきましょう・・・・

大丈夫、ヨーロッパへ行った時の資料は
大きな紙袋とファイルに収めてあります
あとはハードディスクに移しておいた35万画素のデジカメ写真と
毎日書いた、手書きのMEMOを見ながら・・・

さあ執筆再開!
7月10日(月) (18日目)から

前回、イタリアからスペインに渡ることをあきらめパリに行くことを決心した私は
まだ、1日ユーレイルパスが残っていることを意地汚く使い切ってやろうと思っていました

ミラノ発の夜行はパリのゲールドリヨン駅に朝着いた
まずは駅の構内のAT機で600Fキャッシュを用意
(おお、まだユーロが導入される前だったんだなあ)

やたらとフランスパンが目立つ 日本のキオスクみたいなカフェで
そのフランスパンにいろいろ入ったサンドイッチを朝飯にして
色々考える

そうだ、フランスの最南端へ行ってやろう
マルセーユとアルルへ日帰りだ
帰りは夜行を使えば(乗る時点が、ユーレイルパスの最終日であればいい)
ユーレイルパスをぎりぎりまで使ったことになる
(よしよし、と独りで満足)

さあ、ゴッホやセザンヌを魅了したプロパガンスの光を浴びに・・・・
ところが向かう途中は雨模様、着いたマルセーユは曇り空



マルセーユは、かの小澤征爾が初めてヨーロッパに着いた地
ヘルメット姿でここを走ったとのこと

世界的な指揮者,小澤征爾さんの『ボクの音楽武者修行』の書き出しは

「まったく知らなかったものを知る,見る、言うことは,
 実に妙な感じがするもので,ぼくはそのたびにシリと背中の間のところがゾクゾクしちまう
 日本を出てから帰ってくるまで、二年余り,いくつかのゾクゾクにであった」

とあります
わたしゃ、もっともっと早く、この本と知り合って もっともっと若い頃
いろいろ体験すべきでありました

小澤氏は、23歳の時、外国の音楽を勉強するためには、
その土地に行って、自分の身体でいろんなことを吸収するという志を立て、
ヨーロッパへ向かって旅立つ事にしたのです
でも、お金がありません
そこで,ヨーロッパでスクーターの宣伝をするという約束で富士重工から
ラビットジュニア125ccのスクーターを提供してもらいました
条件がありました

@日本国籍を明示すること【スクーターとヘルメットに日の丸をつける】
A音楽家であることをはっきりさせること【ギターを背負っている】
B事故を起こさないことです

神戸から貨物船『淡路丸』に乗せてもらい
自分の夢である音楽に向かってのチャレンジの旅に出発しました
昭和34年2月1日のことでした(私たけちゃんが1才になる前のことです)
53日かかって、このマルセーユに着いたのであります

その時の彼の気持ちになれたかどうかはわかりませんが
南風を感じたことは確かです
あたたかい、港のにおいがする街でした
下のまん中の写真は、にんにくだけを売っている街角の店
あまりの数に思わずシャッター切りました


ここでも猫が、わたしを見つめておりやした
あの、我が家で飼っていた、エイズで死んじゃった愛猫モクそっくりでありました
昼飯は、なぜか懐かしいHinekenとむちゃくちゃ辛いソーセージの入ったパンを食べ、
このマルセーユには1時間ほどしかおらずアルルへ向かいました



アルルへ向かう車窓からは、曇空の中から光りが見えました
うーん、ゴッホやセザンヌにはなれやしないが、
プロパガンスの光よ、いづこに?
でも、あの確かに吹いた南風(プラスの言葉)は、
アゲンストではなくフォローだったぞ
と思えるようになったのは、少しはプラス思考に修行がかかったかな

さてアルル
アルルは、田舎町
ゴッホが描いた絵を彷彿させる風景がいっぱい
アルルの架橋のレプリカまであった
駅から、どう行けばよいかわからなかったので、小雨の中
とぼとぼ旧電車道を歩いていった


アルルの架橋まで、近付くと
ええっ とびっくり
日本人の女の子達がわんさといるじゃないですか
他の国の観光客はほとんどいなくて、彼女たちだけ

聞けば、九州の私立の芸術科高校生たち
修学旅行で写生に来ている、とのこと
うーんすばらしい! 費用は40万円とのこと
好きなだけ日本語を話し、メールアドレスを聞き出して
デジカメ写真を送ることを約束する
(このアドレスが届かなかったんだなー あぶないおじさんと思われたか?)




気分よく、廃線になった線路を、また歩いて帰り
駅の近くの円形闘技場へ
その円形闘技場の真ん前のカフェの店の
外においてあるテーブルで気分よくリッチに食事
(どうも、あのナポリで味わった店の外で食べた気分が忘れられなかったみたい)






うーんここでもビールにハウスワインの白赤飲んだー
もっとゆっくりしたかったけれど
夜行の電車に乗るために、そそくさと切り上げマルセーユに戻る
あとは、パリにまた戻るまで何も心配することはない
と、ここでもまたビール(駅のパブでひっかけた)

さて、この1杯(2杯?だったかな)が、いけなかったか
悪夢の次の日をむかえることとなる

次回から、この酔うロッパで一番長くいたパリのお話・・・・・


(以下次号へ続く)
次号 15.《パリ 1》〜最悪


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