ヨーロッパ放浪記

-----------------------------(酔うロッパ放労記)


11.《ライプツィッヒ・ベルリン》
             

7月5日(水)(13日目)

ライプツィッヒ朝5:45着
駅はドイツらしく(なにがドイツらしいのかわからんが)
とにかく、ああドイツだという感じ

外は雨、今回の酔うロッパで初めての大雨
駅のキングバーガーで朝飯を食べ
市内観光を諦め、宿探しも諦め
急遽、ベルリンに行くことに・・・・
ああ、ライプツィッヒはどんな街だったんだろう・・・

ドイツの新幹線、DBにてベルリンへ
車中、さすがハイテクのドイツ、
通路に予約状況等が一発で検索できる
機械が設置されていた

ベルリン着
駅のインフォメーションですぐさま宿をゲット
二人だとWの部屋105DM÷2で52.5DM
このうち5DMは駅のインフォメーションの紹介料
2日間車中だったので、シャワー、洗濯のあと
夕方市内観光
曇り空のせいか幾分暗いが
サマータイムのせいか、夕方過ぎて明るい

ジーゲイスゾイレ塔1864年


シャルロッテ門
、ブランデルブルグ門


途中戦車を見つけたので
下田君と・・・


晩飯は駅下の安いヤキソバ屋、
中国人が一生懸命働いていた
東洋人と見るや、とても愛想よく振舞ってくれた
スープといい、麺といい、やはりわたしは日本人だと思った
うーん、キッコーマンの例の醤油のビンわかるかなあ
これが実にうれしんだな もう

海外旅行に、醤油を持っていくのも一案かも知れない
ソウルフード(SOUL FOODS)
喰えば元気になるっていうのあるでしょ?

夜は昼間ゲットしたホテルの近くのパブで
下田くんといっぱい
とにかく悪さをしたいあたくしは
そのパブのとなりのいかがわしいところに
絶対面白そうだから入ろうと下田君を誘うと
武田さんここはエッチを武器にした暴力バーかなんかじゃないですか
と言われ、はたと我に帰り
ああ、こういう気持ちがぼられる前兆なのだ
と戒め、まともなパブでビールの飲み比べにした
(懲りないわたしはこの暴力バーをゆくゆくパリで体験することとなる)




7月6日(木)(13日目)


次の日
テレビ塔に登る
馬鹿と煙は高いところだ好きだから
私だけのぼり、ベルリンの東西を見比べる
東西の隔たりがなくなったものの
東は民家が多い
西はビルが多い
【西】           【東】          【テレビ塔下から】


街中で見た日本料理店の看板、
海外で見る漢字やカタカナがなぜかしら懐かしくうれしい


ここで、しばらく(どころか忘れてしまうほど)断筆

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昼飯は朝飯の残り(宿で出たパン)と
キングバーガー

このあと、ドイツ劇場近くの
森鴎外記念館に立ち寄る
なんでもないビルの2階にこじんまりと、それはあった
ここで、久しぶりに1週間前くらいの日本の新聞を見る
日本語の活字がムチャクチャ懐かしいと思った

森鴎外の気持ちになれるかなあ、と思ったものの
あまり面白くなかった

一日を有意義に過ごそうと
できるだけ他も見てみたいという気持ちで
ベルリンの郊外、北に約30kmくらいいった所の町
オラニエンブルクにある強制収容所跡にいった
入口には「働けば自由になる」と
地球の歩き方に書いてあったので
下田くんと、ドイツ語でなんと書いてあるのだろう
と想像していたら

Arbeit macht frei であった
わたしは、プーなのに自由であることに感慨を覚えた
と、冗談をいうどころか最後は嘔吐を覚えるくらいの
それはそれはすさまじい当時を考えさせられる
強制収容所の跡や写真が、これでもかこれでもかと
陳列してあった

ここで繰り広げられた
集団ガス殺戮、銃殺、人体実験
ナチスの信じられないユダヤ虐殺
話にはきいていたが、目の当たりにすると
下田君とともに、だんだん言葉さえ失っていった



ユダヤのこと
ナチスのこと
日本へ帰ったらしっかり勉強しようと思った
おれは何もしらないじゃないか
知らなくてものほほんと生きていくのが恥ずかしくなってきた

ヨーロッパ史を絶対勉強するぞ
と、新たに決心したのであった

夕暮れがかったベルリンの街に戻り、
下田君とイタリアン+チャイニーズのコンビニレストラン
ギリシャ料理のドネルケバブ(下の写真)
を初めて食べた。こんなにも美味しいとは!
日本でも食べたいなあ
きっとどこかにあるだろう
日本でやれば絶対流行るだろうな
などと考えた

ビールはドイツの缶ビール
もっと、もっとドイツのビールを飲みたいなあ
とも思ったが、いよいよ下田君ともお別れだ
ユーレールパスの有効なうちにあちこち回りたい
一方、彼は、ドイツにまだいるみたい
アムステルダムも、私の話で興味ありとみた
イタリアやフランスにも行くとか
また会えるといいね

下田君は学生、バイトで貯めたお金で
ヨーロッパをバックパッカーしている
何ヶ月もお金の続く限り旅を続ける
彼ををみて思いました
うらやましいなあ
日本の将来も大丈夫って

旅は帰るところをさがすことだ
と、だれか言っていましたが
うーんモラトリアムは解決しないだろうなあ

わたしは年老いた少年だけれど
日本の青年よ、妥協した大人になる前に
下田君のように
若いうちに、ぜひ海外見聞を!

と言いたい、
そしてもう一回言います
うらやましいなあ



上の乗り物、駅の前に待機していた
ベルリンの洋風人力車(自転車)
ナイキのロゴ入りだ
珍しいので、シャッターを切った

ドイツの印象
全部をみたわけではないのですが・・・
日本人と同様、血液型A型が一番多い国民だと
感じました
几帳面さというか繊細というかメカっぽいというか
芸術で言えば
やはり、絵画より音楽って感じだな
ワインもいいけれど、やっぱビールだな

さあ、次はツェルマットだ


(以下次号へ続く)

次号、《ツェルマット》

 

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